平等感

いつの時代でも兄弟姉妹間で起きる揉め事には多少の不満や不公平感を持ってしまいます。
それは親が「喧嘩両成敗」と称し、平等そうで不平等な関わりをするからです。当人たちは「何も知らないのに勝手だ-!?」と納得のいかない結末に理不尽さを感じてしまいます。

家庭内の場合、親の見えないところで起きた出来事に対しては親自身が正しい判断が出来ず、仕方なく両方とも叱るか注意するかになってしまいがちです。このように当事者ではない親が判断してしまうと子どもたちにとって平等感は得られません。
では、どうしたら平等感が得られるのでしょうか。
例えば、兄弟の間で弟が「叩かれた-!」と泣いて走り寄って来たらお母さんは兄に対して「何故、叩いたの」と問いただします。この時点で平等感はありません。「叩くことは悪い」という先入観を持って詰問するからです。
親が平等な立場で介入するなら最初の問いかけは「どうしたの?」です。物事のはじまりから話をさせます。それに対して「こう言っているけどそうなの?」と相手に聞き返し、不満があるならその場で自分の意見をしっかり言わせます。「そうじゃない!」とか「僕が先だった」等々。そして一つひとつを確認し、「こういうことかな?」とわかりやすく話を解きほぐしながら、親の判断は入れずに互いの言い分を十分話さます。
親を仲立ちにして自分の言い分を話すことが出来れば相手の話も余裕を持って聞くことが出来ます。
この安心した場が必要なのです。互いの言い分が繰り返されていると各々が勘違いだった事、早合点だった事、悪乗りだった事など、今まで気付かなかった事に自ら気付いていきます。そして、お互いの行動に納得がいった時、「ごめんなさい」の言葉が無くても素直にお互いを認め合え、気持ち良く区切りをつけることが出来ます。

これが平等感の成せる業です。

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